?~1584年。通称四郎兵衛。京都出身と伝えられる。木下伊予守入道覚順の養子。肥前国龍造寺氏に臣従し、龍造寺四天王の一人とされる。1584年、島原の合戦には、鍋島信生(直茂)配下の部将として参加した。戦闘中、直茂が逃走するのを見て憤慨、戦線に引き返して敵に突進し、壮絶に散ったという。