?~1614年。蒲生氏の家臣で、勝則の子。蒲生氏郷の下で磐城国三春城代を務めた。1598年に、氏郷の嫡子秀行が家臣間の紛争が発覚して、それを幕府に咎められ、下野国宇都宮に移封された時、領内常陸国笠間2万石を与えられた。だが、どんな理由かは不明だが、1609年に主家を見限り出奔してしまった。