1528~1595年。前野小次郎宗康の二男。父は一族中心に「前野党」なる武士集団を組織し、織田信安に仕えた。1558年、信安から離れて信長に仕え、岩倉城攻めで功を挙げる。その後は秀吉に属した。1566年、墨俣築城で活躍。1577年、秀吉の播磨入国に従う。1595年、秀次事件に連座し、秀次の後見役だったため切腹を命じられた。