1548~1586年。吉弘鑑理の二男で、立花統虎・直次の父。1569年高橋鑑種の追放後、筑前国宝満・岩屋城の城主に。1581年、統虎が戸次鑑連(立花道雪)の婿養子となり、紹運は鑑連とともに筑前国の反大友氏勢力を制圧。1586年、島津氏が筑前に侵入した際、子の立花統虎のために岩屋城で島津の大軍を支え、壮烈な討死を遂げた。