?~1600年。豊後国大友氏の旧臣ともいうが明らかでない。秀吉に仕え、九州平定戦では、石田三成とともに兵糧奉行を務めた。1589年に越前国敦賀城主になり、朝鮮派兵では自らも渡海。関ヶ原の戦いでは、三成に加担、病気のため籠に乗って出陣したという。だが東軍に内応した小早川軍に襲われ、奮闘の末、自刃した。