?~1600年。清興ともいい、石田三成の家臣として仕え、参謀格として名高い。出身は定かでないが、初め大和国の筒井順慶に、次いで子の定次に仕え、1585年に豊臣秀長に、次いで嗣子秀保に仕えた。1594年、秀保亡き後は石田三成に高禄で招かれ、関ヶ原の戦いでは東軍の中村一栄軍を撃破したが、壮絶な討死を遂げた。