?~1610年。島津氏家臣として義久に近侍した側近。父は祐久。1560年、忠元は島津貴久に代わって幕命を受け、大隅横川城に真幸院領主北原勢介・新助父子を、薩摩馬越城に菱刈隆秋を、また1569年には菱刈氏の居城薩摩大口城をそれぞれ攻略した。武勇一辺倒の武骨漢ではなく、和歌をよくし、知勇をもって知られたという。