?~1588年。兄隼人正・孫介とともに信秀に仕える。1558~1569年間に選抜された信長麾下の黒母衣衆の一人。1570年、小谷攻め後の退却戦の時、簗田広正・中条将監らと殿を務める。1575年、長篠の戦いでは鉄砲奉行の一人となる。1580年、柴田勝家と軍を分け越中を攻める。1581年、越中を領有。1588年、転封地肥後で自害した。