1513~1583年。伊達氏の臣。伊達輝宗、政宗に仕えた。輝宗に才覚を見出されて評定役を務める。政宗の代に家格が上がり、一族に列するようになった。政宗に対立してのち降伏した畠山義継が、輝宗を殺害したことに始まる人取橋の戦いで、窮地に落ちた政宗を援護すべく60騎を率いて敵陣に突進、多くの部下と討死した。