細川晴元の執事三好長慶に仕えた。大和信貴山を拠点に勢力を伸ばし、1560年に多聞山に城を築く。幕府御供衆に列して従四位下弾正少弼。1560年、長慶の嫡子義興を毒殺したとされるが、真偽は不明。長慶の没後、信長に降り大和一国の支配を委ねられるが、結局は信長に背き、1577年に攻められて自刃した。