竹中重元の子、半兵衛か。妻は美濃衆の安藤守就の娘。1560年、竹中家当主となる。1564年、稲葉山城を奪回し龍興に返す。1567年頃、秀吉与力として信長に属してのち、秀吉の近江箕作城攻めに従軍。1571年、対浅井戦で近江横山城を守る。1578年、秀吉の播磨入国に従軍したが、京で病気療養後、死去している。