1522~1591年。太田氏の出自は不明。太田資長の養子資家に始まる庶流は、武蔵国岩付城を本拠として岩付太田氏と称する。資正は扇谷上杉氏の重臣で主家滅亡後は謙信に属して武田・北条氏と対立。1564年、国府台の戦いに敗退、北条氏に通じた子氏資に城から追放される。佐竹氏に従属して所領奪還を図るが実現しなかった。