1518~1565年。甲斐源氏逸見光長の子が飯富源内長能を名乗ったのが祖とも、源満政の後裔が甲斐土着したのが祖ともいわれる。信虎・信玄の2代に仕えた譜代家老衆。信濃内山城主。戦の勇壮ぶりから「甲山の猛虎」といわれた。1548年、上田原の戦いでは内山城で上杉軍を退けた。1565年、信玄の子義信の反逆に連座して自害。