1513~1575年。旧姓は教来石氏。初名は民部景政といい、信房とも。1546年、信玄に旗本組から騎馬50騎の侍大将に登用される。1559年、計120騎を擁する軍団中の重鎮となる。1565年、美濃守信春と称した。1566年、500騎を与えられて信濃牧島城の守将となる。1575年、長篠の戦いでは勝頼の退却で殿を務め、討死した。