?~1573年。大友義鑑・宗麟に仕え、臼杵鑑速・吉弘鑑理とともに三老の一人として大友氏を支えた。1569年、宗麟は筑前博多で毛利氏に快勝した。この時、府内の大内輝弘が遠く毛利領山口まで遠征して毛利勢撤退の原因を作ったが、これは長増の立案した作戦と伝えられている。号は宗歓、智将として知られた。