?~1615年。真田幸村の嫡男で、母は大谷吉隆の娘。大坂の陣において父幸村とともに大坂方として奮戦。落城に際して、討死覚悟の父幸村と別れて、最後まで豊臣秀頼の側に仕えた。「若輩なれども、さすが左衛門佐(幸村)の子」と『明良洪範』が記すように、いさぎよく死に際を飾って切腹して果てた。時に14歳という。