1562~1640年。近江阿閉氏の旧臣で、了の名で知られるが、一説によると実名は吉光ともいう。秀吉の家臣で、羽柴秀勝に付属し、山崎の戦い、賤ケ岳の戦いなどに参陣。その後、伯耆国米子城主中村一氏に仕え、次いで増田長盛の麾下に属した。関ヶ原の戦いでは、西軍に味方したが、戦後は藤堂高虎の臣下となった。