大内義隆の周防国守護代。陶氏は代々大内家の評定衆として政事・軍事両面にわたり中心的な役割を果たした。特に父興房の代には各地で戦果を挙げ、武力は主家をも凌ぐものがあった。しかし隆房の時、相良武任との対立から義隆と袂を分かち、1551年に山口を襲撃して義隆を自刃させた。その後毛利氏との厳島合戦に敗れ討死。