1536~1568年。島津氏の一族。父は忠克。子に久辰がいる。1562年から9年間、島津義久の老中を務めた。1555年、大隅北村城に蒲生氏を攻略し、1561年には大隅廻城で肝付兼続との死闘を演じた。1568年、薩摩大口城の菱刈氏攻略で苦戦し、戦死した。18歳の若さで義久から守護代を命ぜられるなど、将来有望とされていた。