富永助盛とは猪俣邦憲のこと。上杉憲政に属していたが、のちに北条氏に服した。北条氏の許で上野国の支配を担当する。1589年、秀吉と北条氏の間に領域の取り決めが成立。その後に邦憲は豊臣領の名胡桃城を攻め奪う。これが秀吉の小田原攻めの口実となり、開戦まもなく箕輪城に逃れたが捕えられ、小田原城落城後に磔刑にされた。