1544~1591年。出羽国延沢城主。天童氏に属して天童八楯の一人といわれた。最上義光の娘松尾姫を嫡子又五郎に嫁がせる、という条件で天童氏から義光に寝返る。義光は満延の武将としての力量を内心恐れて、暗殺を考えたこともあるといわれる。天童氏滅亡後は義光に属した。1590年、義光に従って上洛、翌年京都で急死した。