1560~1615年。初め黒田孝高に仕えていたが、伯父の反逆により追放される。のち黒田長政に呼び戻され、文禄の役の晋州城攻略戦では一番槍の手柄をたてた。その後も慶長の役、関ヶ原で活躍し、長政の筑前入国に伴い大隈城城主となる。しかし再び謀叛の疑いにより放逐され、豊臣方として参戦した大坂夏の陣で討死した。