1545~1578。尼子十勇士の一人として武名が高い。毛利氏による月山富田城攻めで主家が滅亡したため、京洛に潜伏して御家再興に執念を燃やす。秀吉の中国侵攻に乗じて尼子勝久とともに上月城に入城したが、秀吉が三木城攻めに忙殺されたため、毛利氏の猛攻を受け降伏。安芸へ護送される途中、備後合の渡で斬殺された。