肥前佐嘉城主。父清房。もと信生と名乗る。1569年、大友宗麟が佐嘉城を囲むと籠城を主張、和議をもたらし、また1570年には今山で大友親貞の陣を夜襲して壊滅させた。隆信死後は惣領政家を補佐し、秀吉の九州征伐軍の先鋒を務め、政家の本領を安堵。その後、秀吉の信頼を得て長崎奉行を務めたが、早くから家康に接近、関ヶ原では東軍に属し、肥前を掌中に収めた。