尾張中島郡増田村の出身とも、近江増田の出身ともいわれる。早くから秀吉に仕え、のちに豊臣氏五奉行の一人に列する。1584年の小牧・長久手の戦いで功を挙げたほか、1590年の小田原攻めにも参陣。文禄・慶長の役では、渡朝して行政・軍務を担当。関ヶ原の戦いでは西軍に属す。戦後、所領は没収された。