美濃国安八郡前田の出身で、初めは僧侶であったという。その後還俗して織田信忠に仕える。本能寺の変の時、信忠の命令で遺児三法師を岐阜から清洲に逃れさせた。1583年に京都奉行職に就き、のちに豊臣政権の五奉行の一人となる。関ヶ原の戦いでは、表面上は西軍に属したが、裏では家康に通じた。