父は武田氏の猿楽師、金春七郎喜然。甲斐にいた頃は大蔵氏(その後土屋氏)を名乗り、金採掘を管掌する蔵前衆となった。1582年、駿河に移り、猿楽師として家康に仕えた。大久保忠隣の預かりとなって大久保姓となる。1590年以降、関東十八代官を管掌して代官頭、武蔵横山村に陣屋を構える。以後、民政・財政面に専念した。