読みは「かめい・これのり」。出雲の出身で最初は尼子氏の旧臣の山中鹿之助の配下にあったが、鹿之助亡き後は秀吉に臣従し宮部継潤の与力となる。1580年には因幡鹿野城に拠って毛利軍と戦い、のち鳥取城攻めの戦功により信長からこの城を与えられた。1587年の九州遠征、1590年の小田原遠征にはいずれも宮部氏麾下の将として従軍した。