読みは「そごう・かずまさ」。長慶・義賢・(安宅)冬康の弟にあたり、三好元長を父に持つ。兄長慶を援護すべく畿内へ出兵、「鬼十河」と恐れられた。1549年の摂津江口の戦いで一族の三好政長を撃破。管領細川晴元を失脚させ、将軍義輝を追放した。1560年、畠山高政を破り、河内を領国に加えたが、翌年河内で戦死。病死とも伝えられる。