加藤嘉明

冷静沈着で武勇にも優れる。寡黙で無駄なことはあまり口にしない賢将。後の争いの禍根になるならばすぐにそれを除くべきであり、今争う必要があるならば躊躇わずに争った方がいいという考え方をする人物。武将になる前には馬を商う仕事をしていたことがあり、馬に対しては優しい眼差しを向けることがある。

デザイナー:黒田んぼ
CV:嵜本正和
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史実紹介

父は家康の家臣だったが三河一向一揆で家康に背き嘉明は父と共に流浪の身に。馬を商う父を手伝いながら近江に渡り、父と共に羽柴秀勝(秀吉の養子。信長四男)に仕えた。後、秀吉の播磨遠征時に秀勝に無断で参戦、これを秀吉に称賛され、以後秀吉に召し抱えられる。沈着冷静で武勇に優れた名将。賤ヶ岳七本槍の一人。
 秀吉没後、正則らの三成襲撃に加わり、関ヶ原では東軍の将として参戦している。戦後、伊予松前に20万石を与えられる。
 大坂の陣の折は徳川に属することを決めるが内通を疑われ、冬の陣では参戦を許されなかったが夏の陣には参戦、将軍の護衛を果たした。
 晩年は信頼を回復し、伊達政宗の抑えとして会津40万石に転封。政宗に睨みを利かせつつ、鉱山開発や交通網の整備を行い、会津若松の発展に貢献した。