中島可之助

長宗我部家の家臣。 元親とは幼少からの付き合いだが、身分が低いために家臣団の中で地位は低かった。元親と仲がいいことでやっかまれることもあったが、努力家で才覚もあったため、実力を以て相応の立場を獲得し、元親を支える存在として長宗我部家の一翼を担う。

デザイナー:kakao
CV:田中茉理花
史実を読む

史実紹介

江戸時代中期の軍記『土佐物語』巻第十、長宗我部彌三郎實名の事、に登場する。長宗我部元親の使者として、織田信長に面会したとされるが、織田側の史料にこの事柄の記載はない。
可之助は身分が低く、「席に臨むごとに終に座上に着く事なし」と気にしていた。そこで漢文では必ず一番上に来る「可」という字を使い、名簿の一番上に来るようにしたという。
四国統一を目指していた長宗我部元親は、織田家と同盟しようと考えていた。可之助は尾州へ赴き、信長と会見したが、信長は可之助に向かい、「元親は無鳥島の蝙蝠だな」と言ったところ、可之助はあわてず「蓬莱宮の寛典に候」と答えた。信長はこの答えを賞賛し、烏帽子親を引き受け、元親の四国の切り取り自由も認めた。