伊達輝宗

陸奥国、伊達家の当主。温厚篤実な人物で、家臣の信頼も篤い人物。一人娘の政宗に大きな期待を寄せ、次代の伊達家を睨んで政宗の周りにこれはと見込んだ人物を配し、見守ってきている。政宗に傾ける愛情は並々ならぬものがあり、多少親馬鹿の傾向が見られる。

デザイナー:黒田んぼ
CV:小林範雄
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史実紹介

天文13年(1544年)伊達晴宗の次男として生まれ、天文24年(1555年)に元服、将軍義輝の偏諱を受けて輝宗と名乗る。永禄7年(1564年)に最上義光の妹、義姫を娶り同年に家督を継承、伊達16代当主となる。
 鬼庭良直(左月斎)や遠藤元信を重用し、虎哉宗乙を嫡男の教育のために招き、片倉小十郎(景綱)らを早くから政宗に仕えさせるなど、人材を見極める才があった。近隣諸侯の調停に勤め、中央の実力者と友好関係を築くなどの優れた外交感覚も示し、温厚な性格から人望も集めた。
 天正12年(1584年)に政宗に家督を譲る。後、政宗と争うことになった二本松吉継に求められ取りなそうとするが、吉継は輝宗の拉致を画策。この途上、追いついた政宗の命で銃撃され、吉継ともども死去。享年42。
 輝宗の死は自ら望んで政宗に決断を促したという通説の一方、輝宗を疎んじた政宗が強行したとする説もある。