太田資正

佐竹家家臣。犬の賢さに目を付け、しつけ、鍛え、合戦においては彼らを使役して余人には出来ない活躍をする希有な武将。日々、犬たちを鍛える日々。彼女の働きに興味を示して見学を申し出る者はいるが、ついてこられた者は現在のところ皆無。躾の一環として、犬たちの前では普段と異なる顔を見せることもあるらしい。特に優秀な犬三匹の名前は『三・楽・斉』。

デザイナー:さいばし
CV:宮沢ゆあな
史実を読む

史実紹介

武蔵国岩付城主・太田資頼の二男で、太田道灌の曾孫にあたる人物。父と同じく、扇谷上杉家に仕えた。
 天文15年(1546年)川越合戦で北条に敗れ城を追われる。後、病死した兄の城に入って家督を継ぐが翌年北条に攻められて降伏、開城。一時北条に仕えたが、反北条の志を抱き続けたと言われている。
 事実その後、上杉の関東進出を機に諸豪を糾合し、幾度となく北条に合戦を挑んだ。しかしついに勝利は叶わず、後、佐竹義重に従って小田氏治と戦ったりしている。
 多くの犬を飼っていたと言われ、資正が犬を飼い慣らして味方との連絡などに活用し、曾祖父に負けず劣らずの名将ぶりを発揮したことは『甲陽軍鑑』にも記載がある。