冷泉隆豊

大内家家臣。冷静、かつ思慮深く見えるため評価されることが多いが、本人としては自分で考えるのが面倒臭いので言われたことをただやっているだけだという。本来はもっと違う性格だったらしいのだが……。

デザイナー:拝一樹
CV:神保 巴
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史実紹介

戦国大名大内氏の家臣。冷泉興豊の子。冷泉元豊、冷泉元満の父。
 冷泉家は藤原為家の子の為相を祖とする和歌の師範家の流れをくむ家柄。大内義興に早くから仕え、その没後は子の大内義隆に仕えた。
 1551年、晴賢が謀反を起こすと義隆とともに逃走し、義隆が自害を覚悟するとその介錯を務め、自身も陶軍の中に突撃して果敢に討ち死にしたと言う。
 その忠臣ぶりは、高く評価されたといわれている。隆豊は武勇に秀でていただけではなく、和歌にも堪能であった智勇兼備の士と言われている。