荊州群雄

荊州も騒がしくなったものだ。
徐庶は一人茶を飲みながらそう思った。
徐 庶
徐 庶

ふっ……昼から飲む茶は格別だな。さっぱり酔わないが眠気は覚める……。酒を買う金が無いから茶を飲んでいるんじゃない。酒が飲みたい時もあえて茶を飲むのが俺の流儀

愚にもつかぬすかした台詞が、あたりの空気を凍らせる。
あばら家が立ち並ぶ村の街角。
そこの温度が見るからに下がった。
人相の悪い男
人相の悪い男

徐庶ー! てめぇにもついに年貢の納め時がきたようだなぁ!

徐 庶
徐 庶

おや、浮世の雑音が聞こえるなぁ

人相の悪い男
人相の悪い男

お前、馬鹿にしているのか!!

罵声は、周囲を取り囲む連中の気持ちを代弁している。
男の人相も相当なものだが、男の仲間とおぼしき男達も一様に悪漢面であった。
こんな連中に囲まれて平然としているというのは、なかなかの胆力がいるだろう。
徐 庶
徐 庶

俺の孤高なる男の世界が、またも世間を騒がせてしまったようだな……俺は罪深い男だ

徐庶は髪をかきあげながら、無意味に流し目をした。
徐 庶
徐 庶

ああ渋い……渋すぎるぞ、俺

人相の悪い男
人相の悪い男

このうぬぼれ野郎!! 話を聞きやがれ!!

徐 庶
徐 庶

あぁん?

罵声に、徐庶の眉がピクリと動いた。
その仕草は先程のよくわからぬ自己愛の発露からうって変わって、
この男の危うさをむき出しにさせた。
周囲の男達は思わず後ずさりしてしまう。
人相の悪い男
人相の悪い男

び、びびるんじゃねぇお前ら!!やい徐庶。今日は、俺達『荊州鬼岩賊』の面々は勿論、本家『鬼岩賊』の皆さん

人相の悪い男
人相の悪い男

そして、最近盃をかわした『凶星』の奴ら、さらには……いつもだったら殺し合いをしてる『御喪等』の奴らも来てるんだ。これがどういうことかわかるかぁ、徐庶よ!!

徐 庶
徐 庶

これまた面白い顔が一堂に会したもんだな

人相の悪い男
人相の悪い男

てめえに制裁を与えにきたんじゃ!! 今日がお前の命日と知りやがれ!!

頭の悪そうな子分
頭の悪そうな子分

さすが兄貴! 難しい言葉を知ってるぜ!

徐庶は、すっと立ち上がった。
人相の悪い男に、冷たい視線を投げかける。
その迫力に、人相の悪い男はのけぞった。
のけぞりながら後ずさりして、距離を取る。
人相の悪い男
人相の悪い男

あああああ、慌てるんじゃねぇよ! べ、別に、今ここでやろうってわけじゃねぇ。お店に迷惑かかるだろうが

頭の悪そうな子分
頭の悪そうな子分

てめぇには、常識ってもんがねぇのか!?

人相の悪い男
人相の悪い男

十日後の丁度真昼、この村の先の平原で決着をつけようじゃないか

頭の悪そうな子分
頭の悪そうな子分

怖かったり、忙しかったりしたら、来なくてもいいんだぜ?

人相の悪い男は、頭の悪い子分を殴り飛ばした。
徐 庶
徐 庶

無謀なる愚か者どもは、己に振りかかる悲しい宿命を知らない……

徐庶は倒れ伏せる馬鹿を踏みつけた。
周囲はまたもきょとんとする。
徐 庶
徐 庶

あと千人はつれてこい。これっぱかしの数じゃ腕鳴らしにもならん

人相の悪い男
人相の悪い男

て、てめえ……。十日後を楽しみにしてろよ

男達は我先に店を駈け出していった。
人相の悪い男は、子分を小脇にかかえている。
立つ鳥後を濁さぬというのが信条らしい。
元の席に戻った徐庶は、傲慢な態度で腰を降ろす。
徐 庶
徐 庶

しばしの静寂が、俺の日常に戻った

茶をすする。
???
???

なんともさわがしいのう。それにしてもなんじゃあの顔は。しばらく見ぬうちに、人間の顔はずいぶんと気味悪くなったものじゃのう

徐庶は、無意識の衝動に突き動かされ、声の方を見た。
その愛らしさと全てを見通す聡明さを合わせ持った響き。
それだけでも徐庶の琴線に触れた。
声の主を見て、徐庶はまさしく息を呑んだ。
徐 庶
徐 庶

なんという可憐さ、なんという雅さ。なんという崇高なる美の極致で、あろうかっ!!

徐庶は、電光石火の速さで諸葛亮の隣席に座った。
厚かましいを通り越して痛々しい。手には湯のみがしっかり握られている。
手が震えていた。このまま湯のみを握り潰すのではないか。
徐 庶
徐 庶

……いやあ、本当に騒がしい奴らでしたね……

???
???

はて、おぬしも十分に騒がしかったと思うが

徐 庶
徐 庶

僕はああいうやつら理解出来ないなあ。こんどあったら指先ひとつで昇天させてやりますよ。ホォァァアアアアッ! アタッ! アタッ!アタァアアアッ!

徐庶は奇声を発しながらわけのわからぬ構えをとり、虚空に突き蹴りを行う。
そんな徐庶に、孔明は生暖かい視線をなげかけた。
徐 庶
徐 庶

どうですお嬢さん。……十日後、僕の勝利の瞬間を目撃してみませんか? なんだったら今すぐでもいいですけど!!

???
???

お主はいつもああいうやつらと遊んでおるのか

徐 庶
徐 庶

いつだって完全勝利、ですけどね

己だけがかっこいいと思っている仕草で、見えを切った。
???
???

……野蛮なものじゃな。この国の智はここまで暗くなってしまったか。なんとも嘆かわしいの

徐 庶
徐 庶

ふっ……どうも子猫ちゃんと俺の会話がかみ合っていない気がする……すれ違う二人の心……

???
???

ここにも智がかけらもない男が一人。世も末じゃな

孔明は白扇を口にあてた。
眉根を寄せる仕草も徐庶の心をときめかせたが、
今この男の心中にはかつてない衝撃に見舞われている。
徐 庶
徐 庶

……この俺に、智が感じられない……だと

へたりこんだ徐庶は、平静を装った。
だが床にへたりこんでお茶を飲んでいるという図は、ここが店内なだけに余計に馬鹿みたいだ。
徐庶は、額に手を当てた。顔を伏せながら、一人独白する。
徐 庶
徐 庶

ふっ……わかってるさ。俺と子猫ちゃんでは生きる世界が違ったということ。ただそれだけのことさ

徐 庶
徐 庶

……だがよ、男ってのはそんな簡単に生き方をかえられるもんじゃねえ。男には、男の世界があるんだぜ?

???
???

浮世の雑音が聞こえてくるのう

徐庶はその姿勢のまま、硬直した。
激しい衝撃が、徐庶を灰にした。