1941年12月8日から始まった日本軍のマレー半島に対する侵攻作戦。
日本海軍が真珠湾攻撃を行うまさにその時、日本陸軍を主体とした攻略部隊がマレー半島北部のコタ・バルへ上陸。海岸沿いに南下を開始した。別主力部隊もコタバルより北付近に上陸。そのまま半島をまたぐように斜めに南下し、英国軍が守備しているジェトラ防衛陣地を突破するのであった。
この時、日本軍上陸の報告を受けたイギリス海軍は上陸部隊攻撃のため、最新鋭戦艦「プリンスオブウェールズ」と巡洋艦「レパレス」を向かわせた。これを攻撃するために日本の攻撃機「一式陸上攻撃機」数機が旧仏領インドシナから襲来し、マレー沖海戦が行われた。この時、日本軍の爆弾の命中率が高く、英国が誇る最新鋭戦艦「プリンスオブウェールズ」を撃沈した。
これによりイギリスは海軍を英領インド方面へと引き上げることとなったのである。一方、陸軍もマレー守備隊の応戦にあうが、守備隊の士気の低さと、銀輪部隊と呼ばれる自転車を使った部隊の移動が功を奏し、驚異的な速さでマレー半島の最先端にあるイギリスの要塞シンガポールまでたどり着いた。シンガポールにはイギリスが誇る15インチ沿岸砲が配備されており、シンガポールへと続く海上の橋も日本軍が来る前に破壊されていた。しかし日本軍はゴムボートを使用しシンガポールへ侵攻。これを制圧するのであった。これによりシンガポール付近の制海・制空権は日本のものになるのであった。
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