1944年10月にフィリピンのレイテ沖を中心に行われた日米の海戦。この時、初めて日本は神風特別攻撃隊による攻撃を決行したのである。さらに、日米両海軍が持てる戦力のほぼ全てを投入した史上最大の海戦となったのである。
1944年6月にマリアナ沖海戦に破れた日本は、次の防衛作戦である捷一号作戦から四号作戦まで立案。その中のフィリピン方面は「捷一号作戦」として立てられていた。フィリピンを奪還された場合、南方方面の補給資源確保など多大な影響がでることになる。またこの作戦には負け戦ばかりの日本が大勝利をすることで講和を有利に進めたいとの対外的な理由もあった。アメリカはマッカサーが中心となってフィリピン奪回を目論んでいた。※
捷一号作戦立案当時の日本海軍は、艦隊決戦を行うほどの戦力を割く予定では無かったが、アメリカ軍がフィリピン奪回作戦の数日前に陽動作戦として台湾を艦載機で攻撃した「台南沖航空戦」で日本軍パイロットが報告で敵の空母部隊に対し多大な損害を与えたと過大戦果を報告したことにより、日本海軍はフィリピンでの決戦に踏み切る形となるのであった。
そして1944年10月レイテ沖にアメリカの上陸艦隊数百隻による上陸作戦が開始された。日本軍はフィリピンの南西にあるブルネイと台湾から迎撃艦隊を出港させる。迎撃部隊は南北同時に突入するために艦隊を二つに分けて派遣した。さらに攻撃中の日本艦隊が上陸地点へ突入する際、アメリカの戦力を分散させる為に囮空母部隊をフィリピンに向け南下させた。
日本艦隊はレイテ沖に突入するまでに潜水艦や魚雷艇などの攻撃を受けながら前進していく。そして目的地付近では米空母部隊による空襲を受ける状態になるのであった。また、この時日本が初めて行ったレーダー射撃は艦によって有用性はまちまちだったため、味方へ誤射することもあった。次々損害報告が飛び交ういながらも、前進していく日本艦隊だったが、上陸地点へ同時に突入する予定だった艦隊の1つが途中で一旦反転した為に、突入はバラバラに行われ、先に突入した艦隊は壊滅。後続は激しい攻撃により退避した。反転した主力艦隊は何度か突入しようと空母や戦闘艦を撃沈するも再三阻まれ、帰投することになるのであった。
この海戦でフィリピンがアメリカの手に戻ったことにより、日本の敗戦はより濃くなっていくのであった。この時失った艦船や特攻隊で失った搭乗員等の損失は大きく、この後日本は大規模な海戦が出来なくなり、本土上陸を食い止める人海戦術を行うしかなくなったのである。沖縄戦や硫黄島では陸上戦力に頼るしかない状態になる。
※マッカーサーが中心となり立案したのは、元々マッカーサー自身がフィリピン軍の元帥であり、親の代から利権を握っていたところ、大戦初期のフィリピン攻撃で追い出されたことによるものもあった。当時はマッカーサー王国と言われることもあった。
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