太平洋戦争開戦以前から続く日中間の戦い。 太平洋戦争前まではお互い宣戦布告をしないまま戦闘していたため、「日華事変」や「支那事変」など「事変」という言い方が広く使われている。 開戦時に中国側から宣戦布告を行ったために「日中戦争」と呼ばれることもある。
ことの発端は関東軍(※)が中国との国境間で起こした盧溝橋事件で関東軍が暴走したことが原因の1つに挙げられる。 このときはひとまずお互い停戦をしたが、これ以降いくつかの事件を経て、蒋介石は南京から中国の奥地の重慶に首都機能を移転し、対日徹底抗戦を宣言した。 日本軍は重慶の首都機能低下を目論んだ拠点爆撃を行うことにした。
その時、航続距離の長い零式艦上戦闘機一一型が使われた。 中国に飛び立った零戦は、旧式となっていたソ連製I-15やI-16を切り捨てていった。 当時の中国機では歯が立たず、迎撃機も零戦相手だと出撃しなくなった。
その後、中国からの要請で米国が送り込んだ義援軍、「フライングタイガース」と呼ばれる戦闘機P-40の部隊と日本軍は中国各地で闘うことになる。 この時活躍した両軍のパイロット達は太平洋戦争中でも活躍した。
※日露戦争後、ロシアから租借した関東州と南満州鉄道の付属地の守備を行っていた関東都督府陸軍部が前身。
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