日本海軍が主体となり行った対米戦早期解決策であった「真珠湾攻撃」は、結果的に奇襲という形になった。日本海軍は作戦を成功させるために、当時イギリス海軍が行ったタラント空襲を参考にして、事前の準備を周到に行ったのである。
真珠湾の水深は12mしかなく、当時の常識では魚雷による攻撃は不可能とされていた。また戦艦の強固な装甲を貫通するのも、魚雷では困難であった。そこでまず、魚雷を苦労の末改良し、浅い水深でも使用できるようにした。また鹿児島湾を中心に、浅瀬の停泊艦船に対して雷撃する猛訓練をしたが、いちばんの課題は戦艦の装甲を貫通させられるだけの運動量を魚雷に与えることであった。
はたして運命の1941年12月8日、さまざまな要因が重なり真珠湾への第一撃は成功となった。この時、攻撃隊の飛行隊長が発信した「トラトラトラ」(※)の暗号文はあまりに有名。
しかし、攻撃目標に含まれていたアメリカの主力空母が真珠湾には停泊しておらず無傷であったことや、アメリカが失った戦艦は実質的に2隻であったことなどから、戦略的な戦果はほとんど得られなかったと言って過言ではない。このときの過信と分析の誤りが、その後の未曾有の惨劇を招く要因の一つになったのである。
※「トラトラトラ」は「ワレ奇襲ニ成功セリ」の意で使用された。
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