1948年の建国以来、ユダヤ民族の国イスラエルと、イスラム教国であるアラブ諸国の間では、四次に渡る中東戦争や、報復の自爆テロなど、対立が延々と繰り返されてきた。
中でも、イスラエルが建国されたパレスチナの地に元々住んでいたパレスチナ人にとっては、イスラエルの存在を認めることは祖国を失なうことにもなり、民族にとっても死活問題であった。かくして、アラブ諸国に散ったパレスチナ難民の一部は、過激武装組織として抗議のテロ活動を行なうようにもなった。
だがこの対立は、1993年、米国の仲介による中東和平交渉によって、いったん沈静化する。
イスラエルが、PLO(パレスチナ解放機構)を主体としたパレスチナ自治政府の設立と、ヨルダン川西岸地区及び、エジプトに隣接するガザ地区の自治権を承認し、パレスチナ側も国家としてのイスラエルを承認したのである。
ところがその後、和平調印したイスラエルのラビン首相が1995年11月に暗殺されて代わりに強硬派のシャロン首相が着任したり、自治政府内でPLO幹部の政治汚職が明らかになってアラファト議長の求心力が衰えると、パレスチナ政府内部での権力闘争的な内紛が表面化した。
そして、アラファト議長の死後に政権を引き継いだアッバス議長率いる穏健派ファタハと、武装過激派でもある第一党ハマスの対立が深刻化。ついには2007年6月、ヨルダン川西岸地区で優勢なファタハと袂(たもと)を分かつ形で、ハマスがガザ地区を武力で占拠してしまったのである。
この対立によって、両勢力の間では、報復の暗殺・武力介入事件が頻発する事態となった。
そして反イスラエルの立場を貫くイランの支援を受けたハマスが、2008年X月、とうとうガザ地区の独立を宣言する事態が起きた。
現在、自治地区の分裂を良しとしないファタハは、水面下で、本来の敵対国イスラエルと米国の両政府に接触。少数ながら両国の特殊部隊の支援を受ける形で、ガザ地区の支配権の奪還に乗り出そうとしている模様だ。