6,タリバーン駆逐戦

 2001年9月11日の同時多発テロ事件に報復・制裁するために、同年10月7日から米軍がアフガニスタンで、テロ組織アルカイダと、それを支援するイスラム原理主義政権タリバーンに対して行なった掃討戦が「不朽の自由」作戦である。

 この戦いでは、11月に首都カブールが、12月にはタリバーンの最後の拠点カンダハルが制圧され、ついにアフガニスタンからは、これら勢力が駆逐されたのである。
 その後、公選で選ばれたカルザイ大統領が率いる新政府の統治の下、各国の協力を得てアフガニスタンの戦後復興が進められたが、事態は一筋縄には推移しなかった。
 国内及び周辺国、とりわけパキスタンとの、国境地帯に潜伏していたタリバーンとアルカイダの残党が、2004年の末頃から活動を再開し、復興支援に関わる要員などに、少なからぬ犠牲者が出始めたのだ。

 こうした不安定要素を見据え、早い段階の2001年12月から、国連安保理は多国籍軍で構成される国際治安支援部隊ISAFを派遣していた。だが、各地でゲリラ的に出没する武装勢力を完全に抑えることは出来なかったのである。
 ISAFは当初、参加国のドイツ軍・オランダ軍の指揮下に置かれていたが、その後、米軍に指揮権が移り、最終的にはNATOがその任を引き継いでいる。その規模は、米英独伊加蘭仏軍を中心に、現在3万5000人となっている。

 しかし、各地で再編されたと思しきタリバーン勢力による攻撃・テロはますます熾烈を極め、ここにきてNATOは、より安定した治安維持を目指してISAFへの兵力増強を検討し始めた。その規模は2万5000人を越えるとの予想もあるほどだ。

 そんな折も折、2007年11月6日、安全とされてきた北部バグラン州で、100人以上が死傷する大規模な自爆テロが発生した。
 この地域にはタリバーンと同じパシュトゥン人の割合が多く、また旧軍閥の中でも反カルザイ政権を謳うヘクマチアル元首相派が実権を握る。これらの事情を差し引いても、安全だった北部でタリバーンが活性化し始めたことは、アフガニスタンの治安のさらなる悪化を象徴する出来事となってしまった。

 そしてついに、最悪の事態が到来する。
 かつてカンダハルと並んでタリバーンの最後の拠点にもなっていたクンドゥズに向けて、大規模な武装勢力が進軍を開始したとの情報がもたらされたのである。