2004年11月10日、中国海軍の漢(ハン)級原子力潜水艦が、石垣島と多良間島の間の日本領海を、海上自衛隊の警告を無視し、潜航したまま無断で通過するという事件が起きた。いわゆる中国原潜領海侵犯事件である。
この原潜は、10月中旬に、北海艦隊の拠点がある青島海軍基地を出港。グアム近海で米軍の動向を探る任務に当たっていた。
その後、原潜は帰路、先島諸島方面に針路を取るが、この間、米軍はその動向を完全に把握し、針路などを逐一海上自衛隊に通報していた。
さらに、台湾海軍からも情報の提供を受けた自衛隊は、石垣島の南海域で本格的な追尾を開始した。
ところが10日午前4時、当初は沖縄本島と宮古島の間の海域を東シナ海に抜けると思われていた原潜が、突然針路を北に取ったのである。
そのまま進めば、日本領海を侵犯する恐れが濃厚となったため、海上自衛隊は、P-3C対潜哨戒機からのパッシブソナー投下に加えて、警告を促すためにアクティブソナーまでをも投下するに至った。同時に、沖縄本島西方で演習中だった佐世保を母港とする第二護衛隊の護衛艦「くらま」と「ゆうだち」が現場海域に急行した。
だが結局、午前5時40分、度重なる警告も虚しく、石垣島と多良間島の間の海域で、ついに原潜による領海侵犯を許してしまう。
自衛隊並びに日本政府はこのとき、1999年の能登半島沖不審船事件以来の史上2度目の海上警備行動を、即座に発令せず、明らかに中国軍のものと思われる原潜への対応に苦慮し続けていた。
その結果、原潜は午前7時40分に日本領海を脱してしまう。自衛隊が威嚇発砲などの治安維持活動を独自に行なえる「海上警備行動」が発令されたのは、じつにそれから1時間も後の午前8時45分のことだった。
まだ防空識別圏の範囲内とはいえ、公海上で北上を続ける原潜に対して、この発令は実質的になんの効力もなかったが、自衛隊はその後も追尾を続けた。
そして、原潜が上海沖に達した時点で、海上警備行動は解除され、追尾も終了したのである。
事件はその後、日本政府から中国政府への抗議と謝罪要求という形になったが、中国政府は「技術的問題によって日本領海に迷い込んだ」とし、逆に不快感を表明する形で収束した。
だがもし、適切な段階で海上警備行動が発令されていたとしたら……。そして、自衛隊によって、原潜への執拗かつ大規模な威嚇攻撃や捕縛行動が実行されていたとしたら……。