1991年の湾岸戦争で停戦を受け入れたイラクは、国連決議によって、核・生物・化学兵器などの大量破壊兵器を持たないことと、監視のための査察団を受け入れることを約束させられた。
ところがその後、査察への協力を拒み始め、そんな中、2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生する。
これを受けて米国は、主犯とみられるテロ組織アルカイダとそれを保護するタリバーン勢力を駆逐すべく、アフガニスタンで「不朽の自由」作戦を決行。これら勢力を一時的に同国から一掃することに成功した。
勢いを得た米国は、テロ支援国家「悪の枢軸」として、イラク・イラン・北朝鮮の3ヵ国を名指しで非難。これらの国へも強硬な手段を取る可能性を示唆した。
とりわけイラクに対しては、査察への妨害や飛行禁止空域への侵犯が度重なったことや、軍縮が一向に進まないことを理由に、大量破壊兵器を保持し続けている可能性が高いとして、軍事力によるフセイン政権の排除を声高に叫び始めた。
この動きに関しての国際世論は冷ややかだった。特に、フランス・ドイツ・中国・ロシアはイラク国内での石油利権との絡みなどもあって、作戦への協力を否定。また、湾岸戦争のときに領土内通過を容認したトルコも、これを拒否した。
だが結局、開戦は不可避となり、2003年3月19日、ついに米軍・英軍などの有志連合によるイラク空爆が開始される。
さらに翌20日には、地上兵力が、クウェート方面から本格的にイラク国内へと進軍を開始することになった。
このときの地上兵力は、湾岸戦争時よりは小規模だったが、米軍は驚異的な速さで北上を続け、わずか1ヵ月足らずで全土を掌握。5月1日にはブッシュ大統領によって「戦争終結宣言」が出された。
史実では、イラク北部のクルド人勢力を支援することを良しとしないトルコの協力が得られなかったことで、空挺部隊・特殊部隊を除く米軍の主力地上部隊は、イラク南部から北上せざるを得なかった。
しかし、もしトルコが協力していたら、この戦争はまた違った局面を見せたはずである。その場合、北部と南部からバグダッドを挟撃する作戦が採られる可能性が高いが、兵力を二分されるというリスクも伴う。
この事態に対して、さらに不足兵力を補うために自衛隊が駆り出されていた可能性もけっして否定はできない……。