シナリオ紹介

1~4 北朝鮮動乱

北朝鮮動乱・平壌への道 北朝鮮と核廃棄交渉を重ねてきた米・日・韓の3国は、ついに北朝鮮に最後通牒を突き付ける形となった。交渉の仲介役を務めてきた中国も、国内経済・治安の悪化で、北朝鮮どころではなく、「今後、北朝鮮とは国境を閉鎖する」と声明を発表。事実上、北朝鮮を見捨てることを宣言した。
 自暴自棄となった北朝鮮政府は、開発・発展の著しい東京臨海部で小型の原爆を起爆。臨海部は壊滅ないし重度の放射能汚染地域となっている。現在、東京は首都機能を停止し、在日米軍や、韓国を始め諸外国の軍隊や救助隊が、被害者の救援やインフラの復旧にあたっている。
 米政府の発表によると、北朝鮮は核弾頭を弾道ミサイルに搭載するための技術を有しておらず、この核爆弾は新潟に寄港する北朝鮮貨物船で密かに日本国内に運び込まれ、隠匿されていた可能性が高いという。新潟税関は「日本人拉致事件」が国民的関心を呼んだ2002年夏まで同国からの貨物船に対しては全く検査を行なっておらず、その後も厳正な通関検査を行なって来なかった。
 核爆弾は地表で爆発させると威力が弱まる。このため空中で爆発させなければならない。CIAの分析によると、被害範囲などから推定して、核爆弾を建設中の高層ビルに大型クレーンで吊上げ、ある程度の高度まで引き上げて爆発させた可能性が高いという。
 また北朝鮮は、核爆発の混乱に乗じて、米軍基地のある横須賀・佐世保・沖縄・座間、及び首都圏全域に対して、生物・化学弾頭や有害な核物質を搭載した弾道ミサイルによる攻撃を行なった。
 これらミサイルは、ぺトリオットPAC3などで、あるていど迎撃されたが、迎撃に成功したのは3割ほどと発表されている。これは核爆発による電磁波の発生で、迎撃システムの電子機器に影響が出たためとみられる。弾道ミサイル迎撃の切り札として新造されたイージス艦による迎撃成功例は無かった模様だ。
 核爆弾と弾道ミサイルの攻撃で合わせて50万人以上が死亡、300万人以上が負傷、細菌兵器による疾病などに感染していると見られている。
 東京では国会が会期中であったため、閣僚を含む多くの国会議員が死亡した。このため外遊中だった東京都知事が急遽帰国して横浜を仮の首都に制定、日本政府の臨時首班となり、憲法の一時停止と非常事態宣言を行なった。
 多くの犠牲者が出たことから、北朝鮮に対して攻撃を行ない、軍事施設を破壊すべきという国民世論が急速に高まっている。

4~8 中国崩壊

中国崩壊・沿海州の反乱 21世紀初頭まで順調な発展を続けていた中国経済だが、内陸部と沿岸部の経済格差は拡大し、とくに農村部の大衆の不満が増大していた。
 さらに、WTO(世界貿易機関)への加盟後、主要関税が撤廃されるなどして海外からの製品輸入が激増してからは、人民元の変動相場制への移行と各種輸入品に対するさらなる関税引き下げなどが要求され、国営企業を中心に倒産が続発し、失業率も30パーセントを超えるに至った。外貨も不足し、国際収支も大幅な赤字へと転落し始めていた。
 2003年の新型肺炎SARS流行時に、感染の隠蔽工作が行なわれたことや、政府の対応が遅れたことに対しても、潜在的な不満が高まっていた。
 2003年冬から2004年初頭にかけて、そのSARSの新型変異種が再び流行し始めた。
 大都市と工業地帯の労働力は、農村部からの短期労働者に負うところが大きい。短期出稼ぎ労働者は、法的規制によって一定期間での帰郷が義務付けられており、このため賃上げをする必要がなかったからだ。ワクチン耐性を持った新型変異種発生の背景には、都市部でSARS治療を受けた農村部の出稼ぎ労働者が、完全治癒する前に帰郷したことが主要因として挙げられる。
 また、この規制を逃れて長期に渡って出稼ぎで働きたい人間は、もぐりで働くケースが多かったが、北京中央政府の把握しきれないこうした地下労働者が、都市部と農村部を自由に往き来することが、SARS禍拡大の一因となっていた。さらにSARSへの恐怖心から、都市部が農村部の出稼ぎ労働者を締め出し、それがさらにもぐり労働者の増加を助長した点も否めない。
 結果、都市部で再発生したSARSは、農村部を中心に急速に拡大し、農村部には十分な医療設備もないことから、発病率も死亡率も非常に高くなっていった。時に隠密主義であり、時に硬直化して無策な北京中央政府に対する農村部の不満・不信は、もはや限界にまで達していた。
 沿海州を中心とした都市部では、もともとが農村労働力に頼っていたことから人件費が高騰、加えてSARS禍を恐れる外国資本の投資や現地事務所・工場の撤退も相次ぎ、これらの責任を北京中央政府に求める不満が爆発した。一部地域では、これを独立の機運ととらえ始めている。
 さらに北京を始めとする大都市では、こうした北京中央政府への不満や反感を背景に、新疆ウイグル自治区の独立を求めるウイグル族による車両自爆テロや、政府要人狙撃事件が、機に乗じる形で多発している。もはや、北京中央政府による体制の維持は、崩壊寸前といった面持ちだ。

9~11 米国VS悪の枢軸

 今回のイラク戦争では、精密誘導兵器・航空戦力・特殊部隊を使えば10万人程度の兵力で大丈夫というラムズフェルド国防長官と、50万人規模の大兵力を集結させて一挙に首都バグダッドまで攻め上がるべきだという陸軍参謀本部の方針の違いが混乱を招き、米英豪軍は結局、地上兵力20万人という中途半端な兵力投入となった。
 この派兵規模に対しては、当の政府関係者からも、先行きを不安視する声が出ていた。しかも、兵站の輸送・構築の調整に手間取って1ヶ月も時間を浪費したうえに、悪いことに今年は、砂嵐の季節が通常よりも早く訪れてしまった。
 戦端が開かれると、予想外の事態が待ち受けていた。クウェート国境に比較的近いバスラなどは、すぐに陥落して米英軍が解放軍として迎え入れられるだろうという期待が、もろくも崩れ去ったのである。事態は最悪の方向に流れているといえよう。
 ラムズフェルド長官は責任を転嫁するために、陸軍参謀総長のシンセキ大将を更迭し、予備役に編入した。
 フセイン大統領は、精鋭共和国警備隊とともに首都バグダッドに立てこもって、国民に徹底抗戦を呼びかけている。
 目算の狂った米英軍は、当初のプランを変更し、主力が南部・中部を迂回して一気に首都バグダッドの占領を目指す方針に切り替えたが、多くの専門家の分析によれば、同時にここでも激しい抵抗が予想されている。

12 イラクVS悪の帝国

 今回のイラク戦争で米英政府は、1991年の湾岸戦争時にも効果的だった「緒戦での航空優勢の確保」「精密誘導兵器の大量使用」「特殊部隊の効果的運用」を再び試みることで、短期間でイラク全土を制圧し、フセイン大統領を抹殺ないしは捕獲できると考えていた。また、イラク民衆も米英軍を「解放軍」として受け入れるものと考えていた。
 だが実際には、イラクの地上軍は頑強に抵抗し、クウェートからほど近いバスラの陥落でさえ、開戦後3週間が経過した現在も成し得ていない。トルコが補給部隊を除く米英地上軍の自国通過を拒否したため、北部国境からの侵攻は不可能となり、南北からの挟撃という、当初の作戦方針を大きく転換せざるを得なかったことも大きい。
 しかも精密誘導兵器を使用したにもかかわらず、一般市民に少なからぬ被害が発生しており、また電気や水道などライフラインの切断もあり、多くのイラク国民が米英軍を侵略軍として非難している。
 また、開戦以前から国連の査察完了を待たずに、しかも戦争開始のための国連決議の手順を踏まずに米英の独断で開戦したことで、アラブ世界のみならず、独仏を中心する先進国政府からも、米英は非難を浴びている。戦争が長引くにつれ、世界各国で反戦デモなどが行なわれ、米英に対する世論は悪化の一途を辿っている。
 アラブ諸国・イスラム諸国から、続々と義勇兵がイラクに入国していることも、米英にとっては逆風である。
 目算の狂った米英政府は、当初予定していた地上部隊が南部から徐々に攻め上がっていくというプランを変更し、主力が南部・中部を迂回して一気に首都バグダッドの占領を目指す方針に切り替えた模様だ。だが、この場合、クウェートから延々と兵站路を延ばす必要があり、この兵站路の維持警備だけでも相当の戦力が裂かれることになる。
 フセイン大統領は、精鋭共和国警備隊とともに首都バグダッドに立てこもって、国民に徹底抗戦を呼びかけている。実際、民兵組織に参加する市民も増えている。
 バクダッドでの戦いは必然的に市街戦になり、米軍のハイテク装備よりも、軽装備ながら地元の地理に熟知しいているイラク側に理があると、多くの識者は指摘している。また、市街戦ともなれば、多くの住民や世界各地からのメディア関係者などが戦闘に巻き込まれることが必至であり、米英が世界から孤立する可能性は高い。

13,14 アフガン内戦

 『不屈の自由』『迅速な自由』両作戦で、アルカイダとタリバンの残存兵力を、ほぼ掃討することに成功した米軍は、もはや国益にそぐわないとして、アフガニスタンから完全撤退した。しかし米軍なき後のアフガニスタンでは、経済復興が難航し、政府内部での政争も激しさを増していった。
 そしてついに、カルザイ大統領を始めとする閣僚が総辞職して、政争は武力闘争へと発展。テロや大規模な戦闘が多発して、アフガニスタンは再び悪夢の内戦状態へと突入した。
 これに乗じて北部地域では、掃討作戦を生き延びて潜伏していたアルカイダが勢力を復活。対して国連は即座に、小規模に展開していた国際治安支援部隊(ISAF)を、旧ユーゴスラビア・スタイルでの多国籍治安部隊レベルにまで拡大・強化した。
 しかし、状況はますます混迷化し、現在駐留している部隊の治安維持能力程度では手に負えない事態となってしまった。
 これを受けて、軍閥同士の引き離しと解体を行なうために、より本格的な多国籍軍で構成される平和維持軍(PKF)の投入が、国連で緊急決議された。
 現在もっとも懸念されるのが、パキスタン寄りの姿勢を見せる北東部地域での、アルカイダを中心とする過激派勢力の浸透・拡大である。消息筋によれば、パキスタン軍情報部が、隠密裏にアルカイダを支援しているとの情報も伝えられている。
 このため、首都カブールやカンダハルなどの大都市部を中心に、英軍・独軍・スウェーデン軍が、戦闘機や戦車も投入し、要衝・拠点の確保と、山岳地帯のアルカイダ勢力を掃討する作戦を計画中だという。

15,16 首都圏独立

首都圏独立・相模湾沖海戦 200X年、構造改革がまったく進まないまま補助金という形で地方にカネを吸い上げられている東京と、東京が唱える改革強硬論に反発する地方の対立が深まり、景気は悪化の一途を辿っていった。
 官僚機構のリストラは、民意を無視してまったく行なわれず、公務員の首切りも実質的にはほとんど進んでいなかった。かくして政府の当事者能力に見切りをつけた大企業が、本社機能を丸ごと外国に移す動きも加速していた。このため、税収不足を補うために、消費税は30パーセント近くまで引き上げられた。
 さらに国債が多量に発行されたが、国際市場で相場が下落。政府は米国債の形で保有していた外貨も、大量に売却した。アメリカの景気も道連れで落ち込み、日米関係も極端に悪化し始めた。日本政府は、米軍に対する「思いやり予算」の全面廃止を決定し、米国はこれに対抗して、座間の在日米軍司令部と沖縄以外の部隊を引き揚げた。
 事ここに至り、日本の政治・経済の現状に危機感を抱いていた東京都知事ら首都圏の知事らは共謀し、首都圏の第1師団・第1空挺団、富士学校の教官で編成する富士教導団、さらには防災演習を理由に群馬県から呼び寄せていた東部方面隊の第12旅団を使って国会・霞ヶ関の官庁街を封鎖し、東京都議会を中心とする「関東共和国」の臨時政府樹立と日本国からの離脱を宣言した。
 また、航空自衛隊の入間基地・百里基地の航空団、第1護衛隊群を含む横須賀自衛艦隊司令部も関東共和国側に就いた。
 関東共和国は、日本国が道州制ないしは連邦制を採用したうえで、日本の首都機能を東京からよそへ移転するならば、日本国に「自治州」政府として留まってもよいとの妥協案も示した。しかし日本政府側に就いた、いわゆる抵抗勢力と呼ばれる族議員や、己の利権にしか興味のない官僚、中央からの独立心を持てない地方自治体はこれに猛反発し、話し合いがまとまる気配はなかった。
 そしてついに、関東共和国独立を阻止すべく、日本政府が率いる自衛隊と関東共和国軍に編入された先の自衛隊部隊群との間で、軍事衝突を迎えることになった。
 日本政府側の自衛隊は、福島県境に集結中で、北海道に展開する精鋭部隊の到着を待って、一気に「国境」突破するとみられている。

17 北朝鮮電撃戦

 国連の経済制裁にもかかわらず、核開発を一向に止める気配のない北朝鮮は、アメリカ西海岸近海に、白頭山2号ミサイルを発射するという挑発行為に出た。
 時を同じくして、サンフランシスコやデトロイト、大統領のお膝元のダラスなどの大都市、オアフ島・サンディエゴ・グアムなどの米軍基地、在日米軍基地のある地域で、複合的な生物・化学兵器を使用したテロが発生した。
 米国の国家安全保障局は、アトランタで容疑者とみられる日本国籍のパスポートを保持していた北朝鮮男性の住居を急襲し、3名を逮捕、5名を射殺し、多数の証拠書類を押収した。米政府は、9・11同時テロ事件以来のこの大規模テロを、アルカイダと組んだ北朝鮮の仕業と断定した。
 未然に阻止できたケースもあるが、それでもこのテロ攻撃により、現在までに推定3万人の死者が出ている。在韓米軍駐留地域を攻撃しなかったのは、韓国の世論を配慮してのことと推測されている。
 これを受けて、米政府内では対北朝鮮強硬論が噴出し、米大統領は直ちに北朝鮮に対して宣戦を布告した。
 なお、多数の民間人被害者を出した日本政府も、米国に歩調を合わせて憲法を一時停止し、北朝鮮に対して宣戦布告を行なった。

18,19 日露激突!

日露激突!・ロシア軍北海道進駐 ロシアでは、エネルギー政策に関する問題で、深刻な国内対立が深まっていた。
 シベリアやチェチェンなどの石油・天然ガスを産出する地域や、パイプラインの敷設地域、さらにはレアメタルを産出する地域は、自分たちの地域に利益が還元されず、モスクワ中央や米英のメジャーに吸い上げられているという構図に、非常に強い反発が起こり始めていた。
 シベリアや極東地域では、ロシアから独立して独自の国家を作り、自らの資源を自らのために使おうという自立運動も活発化した。兵器の更新どころか、将兵への給与支払いの滞りも未だ改善されず、中央政府に不満を抱き続けていた極東地域の軍部も、これに賛同の意を表わし始めた。
 ほどなくシベリアでは、独立推進派のシベリア人民戦線が「シベリア共和国」の独立を宣言。すべてのエネルギー関連施設を国有化し、ロシア資産を凍結すると表明した。
 これに対してロシア政府は、旧ソ連で親ロシアだったウクライナなどの国の支援を受けて討伐軍を送ろうとしたが、同時期にチェチェンなどのイスラム教系の自治共和国でも蜂起が起こり、進撃は思うにまかせなかった。
 このためロシア政府は、苦肉の緊急策として、日本政府に極東地域への出兵を打診してきた。
 日本としても、樺太(サハリン)の天然ガスプロジェクトを始め、シベリアや極東沿海州の資源開発に多額の投資をしており、これがシベリア共和国に接収されると、経済的な打撃はもちろん、安全保障上のエネルギー政策にも大きな見直しを迫られる。しかしながら独立が成功した場合、「シベリア共和国」は日本の重要なエネルギー供給国となる。
 これらの理由から、日本政府内でも議論が紛糾したが、最終的には悲願である北方領土奪回のチャンスであるとして、あえてロシアの要請に乗ることにした。
 結果的に日本政府は、ロシア側の申し入れを受け、サハリン占領を請け負った。一部の情報筋によると、北方領土奪回を果たすために、同時に自衛隊の北方四島進攻が秘かに計画されている模様だ。

20 NATO分裂

NATO分裂・修復できぬ溝 10年前のイラク戦争での対応の相違から深まった米英対独仏の溝は、もはや修復不可能なほどに決定的なものとなっていた。
 イラク戦争後もイラクの治安はいっこうに安定せず、破壊工作が続き、米軍は、それを裏から支援しているということでシリアにも侵攻、さらにイランに対しても、イラク国内のシーア派に対して内戦を煽動し核兵器も開発しているとして侵攻、中東は泥沼状態にあった。
 また、エジプト・トルコ・サウジなどの親米派のイスラム諸国や、イスラム原理主義ゲリラが潜伏するアルジェリア・フィリピン・アフガニスタン・イエメン、ロシアのチェチェン共和国、中国の新疆ウイグル自治区などでも、原理主義勢力による暴動・テロ・内戦が頻発していた。クウェート・アラブ首長国連邦・カタール・オマーンなどでは、米軍駐留を許した独裁政権に対して民主化を求める市民の抵抗運動が日常化していた。
 結果、これらの国では、政府・イスラム原理主義勢力・民主化勢力が、三つ巴の闘争を繰り返す事態になっていた。
 イスラエルでも、周辺諸国が支援するパレスチナ人の自爆テロと報復攻撃が激化、一種の戦争状態に突入していた。さらにイスラム勢力が内乱を起こしたインドでは、これをパキスタンの煽動であるとしてテロリスト基地を越境攻撃、それが原因で印パ戦争が再燃していた。
 201X年、世界秩序は混沌としていた…。
 EUの大陸諸国は「世界混乱の元凶は米国にあって、我々はこれ以上関知できない」として、PKO・PKFなどの安定化作戦から自ら撤収し、加えてEU域内からの米軍基地撤退を求めるなど、国連で米国を突き上げた。
 イラクなどのPKFで自衛隊に多数の犠牲者を出し、世界規模のテロ激化で経済が悪化していた日本でも、「日本防衛のためではなく実質的にアジア・中東の前線基地である在日米軍をこれ以上擁護する必要はない」という反米世論が強くなってきた。その結果、日本政府もEUに同調し、自衛隊の海外派遣の拒否、在日米軍の撤退を要求するに至った。
 欧州で唯一米国を支持していた英国は、それでも英国内で米軍基地の提供を続けると表明、同時に比較的親米的だったスペインとともに、ついにEU脱退を宣言した。
 EU諸国は、米英がこれ以上「武力」で世界の「安定化」を謀るのは容認できないとして、英国からの米軍撤退を最後通牒したが、米英は拒否。これを受けてフランス政府は、巡航ミサイルで英国内の米軍基地を攻撃するという強硬手段に出た。
 対して米英軍はノルマンディを橋頭堡とする大陸侵攻の様子を見せ、本格的な戦闘状態となった。米国本土からは増援部隊が送られ、アイスランド・スペインは米軍に基地使用を認めた。
 一方のフランスにはドイツ・イタリア・トルコ・ロシアが同調、西欧同盟軍としての結束を表明した。ベネルクス三国・北欧・アイルランド・東欧諸国は中立を表明した。