【解説】
中止となったスマトラ型1隻の代替として建造され、船体の延長や火力の強化などがなされている。設計にドイツからの亡命技術者が参加しており、その為、形状がそれまでのオランダ軽巡と大きく変化している。開戦時、東インド植民地艦隊の旗艦として配備されていた当艦は、ABDA艦隊に参加し日本艦隊と交戦、1942年のスラバヤ沖海戦で日本の重巡の魚雷を受けて沈没している。なお、戦後すぐにもう一つデ・ロイテル型が存在するが、こちらは一時建造が中断されたデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン型が改名されたモノである。オランダは第一次大戦から現代までの全艦船数に対して艦名パターンが非常に少なく、歴代的に同名艦が多数存在するので非常にややこしい。