戦史特集第五回
日本軍とアメリカ軍が繰り広げたガダルカナル島を巡る戦い。
1942年7月、日本海軍はニューカレドニア、フィジー、サモア方面へ進出してアメリカとオーストラリアの交通路を遮断する作戦「FS作戦」を展開する前線基地とするため、ガダルカナル島に飛行場を建設する計画をたてた。
ガダルカナルが選ばれた大きな理由としては、この島が次期進攻予定地に近いこと。
対岸のツラギ島には既に水上機基地が建設されていて、停泊地としても適当な場所であることがあった。
日本軍が計画しているFS作戦は1942年6月のミッドウェー海戦で敗北したことにより延期されたが、翌月には失った航空機の支援戦力を補うため、ソロモン諸島、東ニューギニアの飛行場へ艦載機を配備して地上から発進する計画の一端として、ガダルカナル島に飛行場建設を始めた。
1942年7月初旬にアメリカ軍は日本軍に対する最初の反攻作戦「ウォッチタワー」作戦を発動した。 この作戦開始直後はソロモン諸島とツラギ島奪還計画だったが、ガダルカナルに日本軍が飛行場を建設しているとの報告を受けた後は完成する前に手を打つ必要があると判断し「ウォッチタワー」作戦の計画にガダルカナル島攻略も含まれることになった。
7月の上旬にはフレッチャー中将指揮の空母3隻を基幹とする空母部隊、リッチモンド・K・ターナー少将指揮の海兵師団と巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊と支援艦隊がフィジー諸島に集結した。そして、8月7日に海兵隊を主力とするアメリカ軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に上陸した。日本軍は飛行場建設中だったため、主な戦力は工兵しかおらず、瞬く間に建設中の飛行場を奪われてしまった。
これに対し、日本艦隊は米艦隊撃沈のため同日、昼にはラバウルを出撃した。翌8日にガダルカナル島のルンガ泊地への突入を開始した日本艦隊との間で夜間戦闘が発生し、アメリカ軍の艦隊に大きな打撃を与えることに成功した。
しかし依然、奪取された飛行場は米軍の手にあったため、これを奪還するために上陸部隊が派遣されることになった。
この作戦には中国戦の引き金になった盧溝橋事件にも参戦した一木少佐が指揮する北海道の旭川で召集された一木支隊が上陸して夜間攻撃にて奪還する予定になっていた。しかし、このときの日本軍は敵の装備も規模も過小評価していた。
「米軍は中国軍より弱い。日曜はパーティーばかりしている」
もともと規模も千人に満たない重火砲を持たない構成だったこともあるが、事前に夜間攻撃に備えていたアメリカ軍により発見され、こうこうとした照明で照らされる中で銃弾の雨を受けて壊滅した。日本軍は夜間攻撃のため音を立てずに進軍するよう徹底されていたが、米軍の高性能マイクに集音される音は防げなかったのである。
この結果を見てもなお日本軍は、敵の規模はたいしたことがないと、さらに川口支隊を送り込んだ。今度は飛行場から離れたジャングルから忍び寄る作戦だったが、これも同様に失敗に終わる。
それでも奪還しようと必死になる日本軍は、陸海空から攻撃を行うアメリカ軍の防御網を突破するため、輸送艦より速い駆逐艦による輸送を行うようになった。しかし、ことごとくアメリカ艦隊の妨害に遭い、思うように輸送ができなかった。
飛行場奪還のために派遣された兵は、届かない物資を待ち続け、食物のないジャングルを彷徨い続けることになる。
「生きたネズミを見つけると、それを捕まえて生のまま食べた。」
などの餓えに苦しむ惨状があり、後にガダルカナル島は餓島と皮肉られるほどであった。
作りかけていた飛行場をアメリカ軍が完成させた後は、飛行場に前進した戦闘機や爆撃機、そして艦船により完全に手が出せない状況になってしまった。この状況を見た日本軍はガダルカナル島の奪還を断念せざるを得なくなったのであった。
□ゲームでの舞台□
「太平洋の嵐」
絶対国防圏:ソロモン海で敗北した日本軍を扱ったシナリオ。
「大東亜興亡史」
ソロモン沖海戦:攻める日本艦隊と防衛するアメリカ艦隊の戦いを描いたシナリオ。
ガダルカナル奪還作戦:ガダルカナル島をクローズアップしたシナリオ。
以上、これらのシナリオで楽しむことができます。