1937年、中国の国民党と共産党間に第二次国共合作が
結ばれると、中国は満州国との国境付近に強固な防衛線をはり、
全面的な徹底抗戦の体制を整えていった。これに対し
日本政府は、国際連盟に中国側の明確な戦争の意思であると
提訴したが、中国側はあくまで防衛の為と反発。国際連盟は
中国側の考えを認め、日本の提訴を棄却した。
しかし、既に現地の士気は高く、1937年7月謎の発砲事件から
端を発して、血気に逸った日本軍一個中隊が国境を越え
北京方面へ侵攻し、あわや開戦となるところであったが、
中国軍の強固な防衛戦に阻まれ、交戦することもなく
撤退し事なきを得た。
この事件から軍令部は中国の兵力への考えを改め、
侵攻は現状では時期早々と判断し、国境付近の軍の再編成を
行ない防備を固めていった。