1914年に勃発した大戦は、
中央同盟国の敗北で幕を降ろした。その後開かれた
パリ講和会議により、禍根を残しつつもヨーロッパの君主制は
崩壊を向かえることとなった。

ドイツの持つ東アジアの権益と、国際連盟における地位を
手に入れた日本はこの機を利用し、重工業化へ向けた
官民一体の経済体制の変換を実行する。
日本の重工業化に際して軍部の一部には、戦時中に垣間見た
戦車や、航空機の有用性を唱える多くの士官によって
その開発に着手することを決定した。開発に当たり日本は、
ベルサイユ条約においてのほとんどの兵器保有を禁止された
ドイツから科学者を招聘するに至った。

ドイツにとってもこの要求は願ったものであり、
ここに日独友好通商条約が締結され、相互の技術交流が
行われることとなった。この条約により日本は
飛躍的な技術革新を遂げたのである。