サイパン島では先の絶対国防圏により守備部隊を送り込み、
その数は4万に上った。1944年6月、
米軍はサイパン島に上陸作戦を開始。
南雲中将率いる日本軍は、水際作戦により
米軍を食い止めようとするも力足りず追い込まれていった。
1944年6月24日南雲中将は
マリアナ諸島の奪回不可能を天皇に上奏。
サイパン島も米軍の手に落ち、
7月初旬、守備隊指揮官たちは自決した。
数日後、米軍はサイパン島の占領を宣言した。
これは日本軍大本営が策定した
「絶対防衛圏」の崩壊を意味した。