第二艦隊司令長官伊藤中将は、
乗組員達を無駄死にさせてはならないと
作戦に最後まで反対であったが、連合艦隊参謀長草鹿中将の
「一億特攻の魁となって頂きたい」
との言葉に、
「それならば何をかいわんや」
と答え、出撃を了承した。
1945年4月6日の夕刻、『大和』を旗艦に、
軽巡洋艦矢矧と駆逐艦八隻を引連れ、
伊藤中将ら約7000名の乗組員は沖縄へ向けて出航した。
その先の東シナ海では、『大和』出撃の報告を受けた
名将スプールアンス率いる第五艦隊が、
既に万全の体制で待ち構えていた。